「ノーベル賞」と「人間トック」

「ノーベル賞」と「人間トック」

(2004年のRIETI・ML議論を加工・編集したものです:アゴラ用投稿の推敲中)

職場で冷遇されながら、意地で研究を続けた青色発光ダイオード(LED)。その発明に成功した中村修二氏(49)に、東京地裁は(2004年1月)30日、対価として604億円を受け取る権利を認め、勤務していた会社が200億円を支払うよう命じた。当時会社がくれた報賞金は2万円。「この判決で、子どもたちがサイエンスに夢を持てるようになる」と笑顔で語った。

http://bit.ly/1780YSY

一般的に、日本では支配構造が全てで、また形而上学的伝統が希薄のためなのか、文系の一般人は、サイエンティストをオタクとしか思っていなかったり、サイエンスそのものに対する関心も、憧憬の念も、稀薄だったりするわけです。日本社会が全体的に「街の俊才」タイプの人間の”扱い方”(マネジメント/コーチング)がヘタクソだ、という事は、実は、社会にとって大きな損失と言えるのではないでしょうか。文系・理系の対立は(学問的系譜からいっても)あまり意味を為さないです。(理系にも、「こつこつ型」(手ごろでがっちり型)もいれば「爆発型」(リスクテーク型)もいる。大体半々)確かに、最高学府の一部である東京大学について考察しても、文一・二タイプと理一・二・文三タイプは大きく違うように思いますが、文系・理系という対立軸はそもそも論では有り得ません。単に、「求めている人材」が多分違うのと、「内部での選択の自由度」に起因しているものと思われます。

また、例えば、法を「作る」と「執行する」では、脳の活性化部位が全く異なるのにそれをちゃんぽんしている所に法学教育の不幸がありますし、<法を「作る」>と<自然科学的に新たな理論を構築する>は同じ脳の活性化部位なのに、理系・文系という下らない分け方(ある種、ひよこの刷り込みに近い…非科学的な分類のシカタ(笑))によって学問領域的に対立が生じているところに閉口せざるをえません。

「サイエンスそのものに対する関心」は、少なくとも子供には大いにあると思います。子供たちはみな(半分くらいは)サイエンスに大きなあこがれを有しています。ただ、「サイエンティストがオタク」と解釈されてしまっている現状というのはどうかなぁ、という気がします。とは言え、例えば「政治オタク」(ウヨサヨ?w)と言う可愛い人達も沢山世の中には居るのかもしれません:-)

社会的成功なるものが、富と名声が全てであると考えられているような社会では、サイエンティストやエンジニアに、富の成功モデルを与えてやることでしか、社会的な敬意やあこがれを喚起することはできないかもしれないと思います。勿論、科学や工学をより深く知っている人は、成功モデルが富のモデルと比例関数でありえない事位はご存知と思いますが・・・数学的・科学的な<美>の追求がサイエンティストにとっての成功に繋がる 🙂 OH, beautiful!

さて。「評価」とか「評判」のメカニズムが日本においては明らかに欧米諸国と異なるにもかかわらず、米国で半分くらいの人間に(のみ)信奉されている「富の成功モデル」とやらの表層だけを削りとって世の知識人とやらが流布したが為に、「社会的な敬意やあこがれ」について言えば「歪んだ意識」が根強いのではないでしょうか。

どの企業でも利益=お金を追求するという最大目的のために存在しているという立場は、若干限定的なように思います。お金はある意味「ヴィジブル」なので「お金を追求」という表現がわかりやすいとは思うのですが、企業/組織は「交換/流通可能なモノの為にある」と言うと、もう少し本質にせまるような気がします。カール・ポランニーやレヴィ・ストロースをやや援用しても良いかもしれません。「生成・消滅・分割・統合・移動・継承可能なエンティティの為にある」(というと、もう少し技法的になりますが、言っている事はほぼ同じだったりするでしょう)この、「交換/流通可能なモノ」の一部に「自己」を予め入れておかないと、理論的にはアノマリを迎えるとは思いますが、自己が大きすぎるとそのもの自体が「破局」を迎える(波動の闇に消える/コンテキストに分解される)でしょう。

正当な対価の問題は、そういう個の論理と、組織の論理という、相反するモチベーションの間から生まれてきているとも考えられます。ですが、極めて難しいのは、「対価の算出」を行うのは究極的に「個」ではなく「集団」(組織・コミュニティ)である、という事です。更に言えば、時系列的に「意味のある」利潤でなければなりません(早い話、タイミングを逸すれば「価値なし」ということがあるわけで)。「意味のある/なし」は、量子力学的に言えば波動の重ね合わせがある「ターム」内に「閾値」に達したか否か(粒子として観測されうるかいなか)、といった要素へ分解することが可能であり、組織をベースとした「リアル・オプションモデル」と、(まだあまり研究されていない)個をベースとした「リアル・オプションモデル」の重ね合わせのように見えます。*個*も、結局は「勝手に好きなことをやる」といったところでの「好きな事」の「選定」についてのリスクを持っているわけですし(人生と言う長いタームでのゲームですネ)、理想的なモデルを構築する事は可能なのではないでしょうか。

個の生み出した果実を、組織が無条件で吸い上げるのは、まさに搾取に他ならないと思いますが、これから先、個に対し社会的に富の成功モデルを与えることは、いろんな意味で重要なんではないかと思います。勿論、「搾取」にならないようにする方法にはいくつかあって、その中には「マインドコントロールを施す」というのもあって(いい言葉で言えば、「企業のモチベーションと個のモチベーションを同一のまな板の上に乗せる」)、結局法学的に言っても「<錯誤>がどのタイミングで錯誤であるか」といったようなテーマと同じ場所に収束するのではないかと思います。ただ、なんにせよ、放って置けば個も組織も「熱力学第二法則」的な死を迎えてしまうわけですが(左脳辺縁系への「収斂」)、「進化論的自己組織化」(右脳大脳皮質的な「開放」)的な「自由度」を与える上でも、「個に対し社会的に富の成功モデルを与えること」は重要ですネ。

一連の「相当の対価」訴訟を通じて技術者たちが獲得したお金で、「組織」に埋没しがちな他の「半数」の理系エンジニア(イノベーティブな)がモチベートされるようなお金の使い道が開拓されるとよいですネ。 極端に例を挙げれば・・・東京大学あたりに寄付して、「銀杏の法衣」でも貰います?:-)
「個」の活性化、に関し、「組織順応嗜好」の「半数」の人間の為にあらず、「街の俊才」タイプの人間の為に強調されてほしいものです(「組織順応/迎合脳嗜好タイプ」の人間/組織はだまっていても【破壊的イノベーション】なんて出来ないのだし。そのくらい、そろそろ「常識」として認知されてもよいでしょうに….)

規制緩和に習って … 各地方自治体は、イノベータ向けに”IT特区”ならぬ
“人間特区”
あたりを設定するとよいかもしれません。(人間トック?:-)

Tetsuya Kitahata(北畠徹也)

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