双極性障害(躁鬱病)と発達障害の関係:発達障害大国日本の課題

51HA-uCNiJL

私の学習を妨げた唯一のものは、

私が受けた教育である。

(アルバート・アインシュタイン)

私の学習を妨げたのは教育ですが、教育にヒントを得て<自ら確立した>「ラーニング」メソッドによって、結局は最も深く学習したので、教育に意味ない事は決してない、と、個人的には思うのですが、皆さんは如何でしょうか?


さて。

多分、「当事者」としてビックリされる方も多いと思うので(インターネット上のコミュニティでこの話をすると大抵目からウロコ状態になるようですんで)、<双極性障害(躁鬱病)と発達障害の関係:発達障害大国日本の課題>と言う題名で、今回は、現在の精神科治療の問題点を、ご説明したいと思っております。こう言うのは、当事者(実際の経験者)でないと悟りを得られない分野でもありますし、また、学術研究が決定的に不足している分野でもあります。悟りを得て科学的な知見を有してキチンと公にしているのは私くらいではないでしょうか。理解の一助になれば幸いです。

参考: 薬物依存、アルコール依存、ギャンブル依存: 依存時代を生きる


私が、双極性障害(昔の名称では、躁鬱病)という概念の存在を知ったのは、(北海道に居た)高校2年生の時になります。高校1年生の時の級友で優秀だった人間(多分、あのままストレートに行っていれば、慶應大学辺りは楽勝で合格していたのでは)が、「いじめ」を機に発症し、看病しに(慰めに)受験期間中も通ったものです。結局、その友人の母親は、息子の双極性障害と人生を案じて自殺をしています。他の東大エリートと私が根本的に違う理由の一つも、こういう「原体験」があるからに他ならないのですよね。

私ごとで恐縮でございますが、

アルコール依存症(精神科でのハッキリとした診断は2007年)の克服の為、(睡眠薬・抗不安薬である)ベンゾジアゼピン依存症を発症していたのと、アルコールの離脱症状の回避の為、精神科の薬は処方を2007年から本格的に受けていました。アルコールの離脱症状は、基本的に、疑似的な「統合失調症様態」(昔の精神分裂病)を生み出します。ですので、その症状を回避するためには、統合失調症患者が使う薬を使う事になるのです。大塚製薬の非定型抗精神病薬「エビリファイ(一般名:アリピプラゾール)」などが代表例。

1・2回目のアルコール依存症で入院をした際、何種類かの精神薬を受けており、勿論その中にはベンゾジアゼピン系の睡眠薬も数多くあるのですが、数年後(今から3年前)のアルコール依存症での長期入院の際には、プラスで「抗うつ剤」を処方されました。

3年前の入院時(薬物依存のヤクザや暴走族あがりと一緒の部屋になって苦痛だったんです)、途中、抗うつ剤の飲み過ぎで、気分の高揚が激しくなり、同室であったおじいさんに暴言を吐いたようです。まあ、私としては大した言葉を発したとも思っていないし(老人は被害者妄想激しい)、急にテンションが高くなったので(うつの方が私としては異常。この事に精神科医は気づかなかった)、「双極性障害」と診断され、隔離病室へと連行されました。まあ、「誤診」です。最悪は、親とつるんでしまったんですよね。アルコール依存症は任意入院でしたが、医療保護入院に勝手に切り替えられてしまった。こちらは抵抗できませんから、1週間独房入りです。

借金問題(数千万円:結局、時効等を援用して大部分チャラにしました。大手ネット証券を巻き込んだ画期的な大裁判の末の逆転勝利。それがあったので、5ー6年間ネットで表立って活動出来なかったんです。勝手にネットで有名にさせられて大迷惑!)を抱えていたので、自己破産のススメを親から受けていたのもあるので、かなり最初は猛烈に抵抗はしたものの、結局折れました。双極性障害として、意味のない入院に切り替えられ、薬(主に、バルブロ酸ナトリウム、リーマス/リチウム、です。リチウムに至っては、意図的な殺人罪に近いものがあると思う!)を服用させられました。

結局、3年間無意味な生活を繰り返し(通院時、実は睡眠薬以外の薬は殆ど飲んでいません。医師と親を同時に騙すにはテクニックが必要!)、去年(2014年)の半ばに自主的に入院をした際に「双極性障害ではなく、発達障害の一つである」事に気付いたので(当初はアスペルガー症候群かなとも思いましたが、間違いなくADHD)、親の監視を離れる事と、日本の無能な精神科医と決別する為、海外に逃亡しました。(2014年9月:比国へ)


双極性障害の疑いをかけられたことでよく知ったのですが、ADHDやアスペルガー症候群には、同じ経緯を辿って双極性障害の誤診される方が多いようです。

発達障害のプロセスに於いては、「鬱になりやすい」と言うのが挙げられます。それはまだ良いのでしょうが、うつ病としての治療を受けるプロセスの中で、抗うつ薬の乱用により、「ハイテンション」(癇癪)になる事があるんですよね。これが、どうやら、「双極性障害」で診断(誤診)されるようです。まあ、私の場合、アルコールを大量摂取していてハイテンション長かったのもあるんで、双極性障害 I 型と思われてましたが、通常は双極性障害II 型を疑われるでしょう。

アスペルガー症候群の疑いをかけられている、故スティーブ・ジョブス氏(アップル社創業者)のビデオを日本で見る機会があって、少なくとも私は確信しました。例えば、故スティーブ・ジョブス氏のエピソードを見て、双極性障害と診断(医師が愚かであれば誤診は有り得ると思った)した上、隔離して、バルブロ酸ナトリウムの処方を通じてよだれの垂れた呂律の回らない「処方箋による精神病患者」作り出してしまう様なのが、現在の日本の精神科の医療(と呼ばれるチャイルドプレイ/ガキンチョ遊び)。医師と患者のどちらが「KICHI GUY」か、位は、例え第三者の一般人であっても、十分に理解可能であると存じます。


私は、現在、タイ・バンコクで、薬をまったく使わずに生活しています。ローテンションになる事も無く5か月以上経っていますし、突発的な「癇癪」(原因を伴う癇癪)はあってもハイテンションではなく、明らかに双極性障害の診断は誤診です。(一般的に、双極性障害は不治の病と言われている)
こういう勝手な誤診をして、他者の人生を台無しにしておきながら、日本国の市井の精神科医は、不遜であるその態度を変えようとしません。(耄碌して判断力の欠如した)親と結託した医師の<暴走>は「KICHI GUY」。そして、警察を巻き込んだ国家権力は時にして「狂気と化」します。
海外の医療機関にかかろうとしても、精神科に限っては(睡眠薬を貰いに行こうとしても)、過去の入院歴があるので、キャッシュレスなど受け付けてくれないのですよね。本当に迷惑千万。生命保険を作れないのが一番のやっかい。億単位の訴訟をしたいと思っております。

私は、「双極性障害」「統合失調症」の類の精神科の病理は、誤診が殆どだと思っています。そして、薬漬けの日々により、本当の精神科の病気になると。ろれつ回っていない人は、バルブロ酸ナトリウムの後遺症(副作用)が殆ど。

例えば、PTSDなどと言うのは、フロイト心理学に基づくような、勝手に作られた病気なのです。アドラー心理学の方がこの分野は適切。トラウマの類も、解釈はアドラー心理学の方が適切です、現代社会に於いては特に。

大部分の精神病患者は、意図的につくられた精神病に悩まされ、人生をスポイルされているだけと私は確信しています。厚生労働省と癒着した、日本の医療業界にメスをいれるべき時期だと思います。


何度も言っていますが、私は既に数か月以上薬を「一切」使っていませんし、平穏で、健康で文化的な生活を海外(フィリピン、ベトナム、タイなど)でしています。アルコールを含めた依存症を「全て」克服した人間で、精神科の病気を患っている事など考えられないのです。

双極性障害は、せいぜい日本国で1000人に2人しかならない病気です(或はそれ以下)。高校の1年生の時の同級生(40人学級)が既になっているのですから、「確率的に」私も患っている事は<ありえない>レベル
なのです。こういう数学(算数クラス)も出来ない医師が堂々と「劇薬」をつかっているわけだ、、、これでは日本は良くならない。

現在、「双極性障害」「統合失調症」を診断されている方々、発達障害も念頭にいれて、セカンドオピニオン・サードオピニオンとってみては如何でしょうか。日本で出来なければ海外の病院で(これが実は確実だと思います)。本来、アスペルガー症候群、ADHDなのに、精神科の病気を宣告されている人は、「必要以上に」多いと思っています(一応、ネットのコミュニティで実証済み)。

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( http://apital.asahi.com/article/nayamu/2014052100008.html より )

ウィキペディアや他のサイトをじっくり見ればカラクリが解る事でもありますが・・・この分野の<誤診>の問題を研究している人はあまり居ません。双極性障害とADHDが「併発」するのではなく、ADHDでの症状で誤診を受けて双極性障害にみなされてる人が10%以上いる、と言うのが正しい。ですので、大規模な啓蒙・啓発活動が必要な分野だろうなと思っています。

発達障害を持った子供は年々増えています。アメリカは既にそうですが、日本も既に、発達障害大国です。

貴方の精神が分裂をしているのではなく、気分のムラが有るのでもなく、日本国の社会が分裂(KICHI GUY 病 発症)しているだけです。orz

理解の一助になれば幸いです。m(__)m


追記: 見出し画像は、発達障害の一つである「自閉症」を患いつつも作家として大活躍をされている東田直樹さんのDVD。東田直樹さんは、私が1999年に新卒で入った(会社を共に立ち上げた)アットマークラーニング社のインターネットハイスクールの卒業生でもあります。不登校・学習障害等で悩まれるお子さんが身近にいらっしゃる方は、明蓬館高校を訪ねられては如何でしょうか?

アマゾン 書籍 例
自閉症


Tetsuya Kitahata(北畠徹也)

著者:

北畠徹也(英語:Tetsuya Kitahata 露語:Тэцуя Китахата.)は、1974年生まれ。1993年東京大学教養学部理科2類入学、同大学法学部私法コース卒業。北海道生まれのアントレプレナー。現在:株式会社テラ・インターナショナル代表取締役。ICTコンサルタント。タイ王国バンコク都在住。

ネットワーキングコミュニティに造詣が深く、ブログ・wiki・Mixi・Twitter・Facebook・Google+などのアーリーアダプターである。

世界中に実名の30万人以上のリーチを持つソーシャルメディア(ソーシャルネットワーク)の第一人者であり、オープンソース(Opensource)業界では、HTTP Server で有名な The Apache Software Foundation(アパッチ財団)の、個人スポンサーや、コミッタ(Committer)であったことでも有名(日本人/日本法人で初めてのスポンサー、個人では世界初)。Wikipedia, Perl, Mozilla, Python をはじめ、様々なオープンソース・オープンプラットフォームに寄付を行う慈善事業家。インターネットがより深いレベルで社会生活に浸透していけばよいと切に願っていると同時に、ネットにおけるコミュニケーション・オフライン(現実社会)におけるコミュニケーションがどう密接につながっていくのかを読み取っている。

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我不是曽野綾子女史 #I_AM_NOT_AYAKO

air

(アゴラへの寄稿の推敲中です)

国際社会の<空気>が読めない方が、堂々と新聞のコラム欄等に何か書き連ねたりする時代なのだなあ、と、タイ王国バンコク都で口あんぐり、してしまった、北畠です。

過日の産経新聞に掲載された2月11日付のコラムが国際的にも大ヒンシュクとの事。

「日本でも移民を受け入れたらいい」と提案した上で、「南アフリカの実情を知って以来、私は居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住むほうがいい、と思うようになった」と書いてらっしゃるとか。電子的にしか見れない環境で申し訳ないのですが。

んったく。。。。 orz


曽野綾子さんが、日本財団の会長を務めていた頃( 1995年7月~2005年6月)と言うのは、丁度、
「ハンセン病訴訟」
の勝訴判決出た時だったりするんですよね。
日本財団(日本船舶振興会)って、「ハンセン病訴訟」で広く名前が知られている団体ですよ?

「私(=曽野綾子女史)は、居住区だけは、ハンセン病患者、非ハンセン病患者(=健常者)、というふうに分けて住むほうがいいと思います!」

と言う、トンデモナイ主張をしているのと<同値>であることに、早く気づいて欲しいものです。

主張が「アベ」コベ orz

小泉純一郎元首相にも、笹川良一先代にも、顔に泥を塗っているという事、気づかないのかしら。

折角なので、タイトルにも、「氏」は使わず、「女史」と言う記号で<隔離>してみました。 orz

差別撤廃論者は、往々にして、「他で」差別する傾向ありますよね。差別の弱者が勝者になった瞬間に、差別の強者として別の弱者を攻撃する、なんてのは、世界中のどこにでもあります。人生に首尾一貫性が無いのは、「恥」だ。

「ハンセン病」訴訟判決は、差別に関する有名な違憲判決です。

正しい通称は「らい予防法違憲国家賠償訴訟」

小泉純一郎元首相が厚生相だった頃に確定した「違憲立法審査制度」に伴う画期的な「国家賠償法に基づく」裁判です。2001年(平成13年)5月11日に原告全面勝訴の判決が出ています。

この訴訟の法源は、紛れもなく、憲法第13条です。

最近話題の「ヘイトスピーチ」関連の訴訟も、元をただせば、憲法13条と14条。そういう「背景」を、皆で共有する必要があるのではないでしょうか。

日本財団の会長だった方でしょう?少なくとも。

Article XII. The feudal system of Japan shall cease. All Japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals. Their right to life, liberty and the pursuit of happiness within the limits of the general welfare shall be the supreme consideration of all law and of all governmental action.

この「美しい英語」(マッカーサー草案)、少なくとも、セイクリッドハート(精神女史じゃなくて聖心女子)文学部英文科をご卒業された方だ。翻訳出来ないはずがあるまい。


と言うわけで、結論。

曽野綾子女史、「国際社会の空気嫁!」 ^^; #I_AM_NOT_AYAKO
orz

追記1: 因みに、タイトルの画像は、「AIR」(Key/Visual Arts)の クソコラ パクリ。 ^^;
追記2: 池田信夫先生の旧ブログ(goo ブログ) http://bit.ly/1Cxsrbd (空気よめ) より

学問に王道は無いが、人生には王道がある

ユークリッド

(アゴラ寄稿の原稿)

成績に最大の影響を及ぼしていた要因は、「経験への開放性」と「勤勉性」だった。これまでの研究でも、この「経験への開放性」と「勤勉性」は、様々な分野での成功に関係しているということが分かっており、今回の研究は、従来の研究結果を裏付けるものとなった。

<学校の成績は、知能ではなく性格で決まる(研究結果)>
http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/07/personality-is-a-better-predictor-of-success-_n_6427292.html
(引用:ハフィントンポストより)

これは大きく頷ける内容でしたので、アゴラでもご紹介です。


私、結構(特に最近 ^^;)、天才論がどうだとか、東京大学がどうだとか、エリートがどうだとかと、「過激な事」 ^^; 書いて居たりする気がするのですが、実は、最終的には 「勤勉性 と ワクワク が大事」みたいなベースを持っているから、何ですよね。つまり、<性格が成績と将来を左右する>と。

「勤勉である事を誇りにする」であるとか、「知りたいという純粋な気持ちを大切にする」であるとか、当たり前にやるべき事(王道)を、やってない人、多いよね?(笑)

学問に王道は無いが、人生には王道がある、なのだと思います。

「何かに役に立つからやる」ではなく、「役に立つか立たないかわからない<だからこそ>やる」と言う、真摯な気持ちは人生に於いて大事です。必要性をどうのとか、英語を将来的に使うかどうかとか、将来の事を中学や高校の頃から解ってしまうという、まるで「ネ申」みたいな人が日本には多いようですね!私は、単なる「傲慢」なのだと思うけどな!

https://newspicks.com/news/829002/
<中高生の約5割「将来、自分が英語を使うことはない」は本当か>

「必要になった時は覚えるでしょ?」みたいな無責任ぶっぱなつオトナばかり増えるから、全体として、「予防医学」の様なものが日本社会には発達せず、人口に膾炙せず、「医療費ばかりがかさむ」社会になり下がってしまうのです。そんなのは人間だったら解るはずだよな?脳みそが(エ)モンチッチ未満(=サル未満)だったりしますか?(笑)


(修正・新)自由主義を、否定したり批判する事は私はしません。勿論、人生を謳歌するのは大事ですし、刹那な発想で物事に挑むことも大事である場面も多いでしょう。人生は刹那のインテグラル(経路積分)ですからね。まあ、しかしながら、矢張り、「道(可能性)は無限にある」し、その無限性を教授する(Πが有理数ではなく無理数であることを教えるがごとく)のも教育が無しえる事であると思うのです。そして、「社会にとって有害な自由と無駄な努力」も矢張り存在するのです。

<「自己責任論」と言う無責任論>
http://agora-web.jp/archives/1631695.html

は、政治学のみならず、社会学にも当てはまる事です。「自己責任論」には「社会責任論」が伴います。社会の一員としての責任、社会全体としての責任、です。責任(リスク、だけではなく、ここではむしろ、リスポンシビリティ)は、自己完結すべき類のものではありません。人間は社会生活を前提とする生き物ですよ?モンチッチを例とするサルだって社会性を前提としているはずだよな?少なくとも東京大学でならそう教えるのだろうけど、授業行かずに落第した挙げ句に中退とかしたら、まあわからんか・・・。orz

新自由主義の標榜は勝手だし謳歌も勝手だけれども、社会に有害な論だけは吐露しないでほしいものです。

<「自己責任」という戒めの言葉>
http://agora-web.jp/archives/1631409.html

日本に於いて最近とみに騒がれている<自己責任論>、不十分と言うかあいまいな気がします。
責任には「リスク(RISK)」と「リスポンシビリティ(RESPONSIBILITY)」の双方の解釈があると思うのです。

  • 「国家が例え頑張って救出しようと試みても、失敗するというリスクの際に、国家賠償法(等)に基づく責任を負う事は出来ない」
  • 「国家は、そもそも、救出をする為の費用負担をする責務を有していない(国家は費用負担の必要が無い)」

こんな違いは一応ある事はあるでしょうか。

この両者を、混同した「自己責任論」が、世間をにぎわせていると思うので、正直言えば、ムカムカ・・・orz

日本に多い「自己責任論」をホザク「無責任連中」は、リスクの事をリスポンシビリティだと思っているだけなのではないかな?日本語勉強しようよ、英語と。(笑)


<恩がわからない人>
https://newspicks.com/news/828497/

私は、受けた恩は、その人或は社会に対すして還元する<責務>のあるものだと思っているので、そういう<感謝>を還元する為の、「Share Your One Day!」サービスと言うのを全世界(日本はあまりターゲットにはしない。アホ草w) に普及させようと思っています。例えば、教育は無償、でも「出世払いでよろしく!」と言うときにも使える様なサービスにしたいなと。今、親のお金で5000円払ってくれるより、貴方の10年後の将来の一日(換算したお金であれ、実際のサービス提供であれ、それは問わない)を私たち<社会>に譲ってください、って言うサービスです。

元々の、「米国の私立大学の寄付金システム」と言うのは、<未来の貴方からの恩返しフィードバックシステム>なんです。

将来の?ビル・ゲイツ君、マーク・ザッカバーグ君が受講してくれると嬉しいな!(笑) 将来、タイ・マッサージ(ラオス式マッサージでも可 ^^;)を1日中私に恩返ししてくれても勿論いいよん?(笑)


<すべての宗教は危険である。信じているひとがものすごく多いから特権的な優遇を受けているだけ[橘玲の日々刻々] >
http://diamond.jp/articles/-/66577
(出展:ダイヤモンド社)

イスラム教徒になった事も無い人が、イスラムは悪、とか、イスラムは危険、とか言い張るのは、ハッキリ言えば<傲慢>だと思います。体験した人にしか解らない事の方が圧倒的に多いのですよ、世の中。最近、「分かったフリ」した<神様>が跳梁跋扈して困るね、それこそ<危険>だと思う orz

まあ、大体において、この筆者さん、私からのメッセージ(ウェブから)を受け取っているのにレスポンスしてなかったりするよね。メールの返信なぞは10秒で可能。まあ、そういう処も傲慢なんでそ、所詮。orz


以上、先週の話題を NewsPicks での関心度やLikeが高いものを元に、まとめあげてみました。 – https://newspicks.com/user/103453

(注:画像は、エウクレイデス=ユークリッド

Tetsuya Kitahata(北畠徹也)

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不自由が生み出す自由なイノベーション

不自由が生み出すもの-SpamAssassin

(2004年5月1日に公開したものです。一部大幅に加筆。現在との相違はかなりありますが、主張は変わりません。 tetsuya@apache.orgなるメールアドレスを持っていました。アパッチ財団参照 @ http://apache.org ))

実は、Apache.Org のサーバ(Minotaurという名前 = Beefy! ^^;)には SpamAssassin が入っていませんでした。・・・いや、この表現は厳密には間違い。各ユーザは SpamAssassin を使う事が出来るのだけど、デフォルトでサーバ管理者が各ユーザに対して使用を「強制」していない。スパムフィルタなどは、「おのおのの責任の範囲で」(これを自己責任というらしい)入れなさい、という事なのだろうと思う。

(注: Apache SpamAssassin – http://spamassassin.apache.org/ )

実は、Apache のインフラに対して色々と疑問点(特にメールサーバ系)があって、インフラチームに色々と「クレーム」をつけた事があります。例えば、WebServices のメーリングリストの一部にウィルスメールが入ったりSPAMだらけのリストがあったり … (特に WS-IF あたりが酷かったかも … axisやgeneral@wsも結構 SPAM があったけど/2003年7,8,9月あたりは … 過去ログ見れば一目瞭然) … この原因が「懈怠による」ものだとしても、どこに根源的な「懈怠」(例えば、リストユーザがインフラチームに「要求」しないのが悪いのか、インフラチームが Paternalistic にスパムフィルタを導入しなかったのが悪いのか)のサブジェクトがあるのかがわからなかったわけです。というわけなので、最初、「インフラチームの懈怠」という仮説を立て、色んな提案を立ててみたのでした(その当時、ややというか相当ヒステリックになっていたような…<苦笑>)。SpamAssassinの導入を提案したのもその時期。(注:現在は、 http://spamassassin.apache.org/ になり、トップレベルプロジェクトとなっています。皆さん恩恵を受けているはずです。世界的に相当有名ですから)

半年以上経った今になって、その当時の事を思い出すに至り、こんな結論に達しています。「わざと不自由を作っているのだ」と。・・・そして、これを更に拡張すれば、「それこそが自由だ」と。

日本に於ける「教育」にしてもなんにしてもそうですが、「ノイズ」は兎も角100%に近い形で除去(フィルタ)し、インテグリティを確保しようとする傾向があります。泥んこ遊びなどもってのほか、といった風潮ですね。自由は、「管理下におかれた」箱庭にしかない、とこういうわけです。しかし、勿論、過度な「きれいずき」は人間の体が元々(体内で小さな進化を起こすメカニズムなわけですが)持っている「免疫力」を下げてしまっており、「適度にきれいずき」な人に比して極度にばい菌/ウィルスが体内で活動しやすくなってしまっています。
同様に、もしサーバサイドでスパムフィルタを導入していたならば、オープンソース理念の「根源」である<気づき>を得るチャンスが少なくなりますし、別のフィルタを作成するモチベーションの種すなわちイノベーションの<種>を知覚する確率は極端に少なくなると言えるでしょう。そして、「進化」は永遠にやってきません。

実はオープンソースがこんな崇高な「フィロソフィ」に支えられていたんだな、と、いまさらながらに感動していたりします。まあ、勿論、「個々人が ~/userid 内で SpamAssassin を使える」といった事などを「周知」させるテクニック(やや、マーケティングな発想の人間が有する技法)はもう少し使ってみてもいいんじゃあないかな、という気もしますけど … まあ、技術者は往々にしてマーケッタを嫌う(笑)

この主張を拡張するのであれば、日本で「イノベーション」が生まれるためにはもっともっと「不自由」空間を作るべき、と言う事になるのでしょうかね … まあ、それが正解であるような気がします。根源的に「不自由空間」として競争/進化させるべきところに対し、政府が介入して邪魔してるんでしょうネ。元来不自由であるところをそのままにし(競争を促し)、箱庭的につくる自由空間は排除(そんなPaternalismは許すマジ)を基本とすべきなんでしょう、もし日本のイノベーションを真剣に考えるのであれば。

(上の主張は、2004年5月)

(加筆:2015年2月)日本のイノベータにしても米国にしてもそうですが、綺麗な場所に安住して、その上でビジネス考えていますよね。東南アジアに来てから相当色々なビジネスアイディア生まれましたが、やはり、不自由な場所の方が自由な発想が出来るのだと思いました。現状で満足できる空間で、新しいものを生み出そうとする力学は働きませんよ。アフリカのへき地に派遣された役員とどうコミュニケーションとるか、と言う一つの「不自由」からだけでも、「電子役員会議」ツール一つや二つを自前で作る(そろえる)モチベーション生まれますしね。東京に暮らしていながら出てくる「イノベーティブアイディア<じみたもの>」なんていうのは、所詮、「妄想」以下でしかないのだ、と言うのが結論。

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ふるさと納税、選択納税制度、先物納税制度

<<ふるさと納税、選択納税制度、先物納税制度>>

(アゴラ寄稿の原稿です)

「明日は特別スペシャルデイ」、バレンタインデーでしょうか。国生さゆりさんの「バレンタイン・キッス」(最近の方だと、「わろた7」版の方が有名?^^;)が思い起こされるこの時期は、そう、確定申告の時期ですね。最近、面白いふるさと納税活用のアイディアが具体化して出ていますので、軽くご紹介です。

加賀市へのふるさと納税はDMMで!- DMM.com

これは、ふるさと納税を使いこなした、優れたアイディアだと思います。加賀市にふるさと納税すれば、DMMのコインが50%分もらえる、と言うモノ。
「全国区で使える」「仮想通貨(私製貨幣)」「限界が無い」「利益率がべらぼうに高いビジネス」である点がポイント。

応用するならば、
「福井県鯖江市(サイバーエージェント社:藤田晋氏のふるさと)の、アメーバ仮想コイン」
「大阪府箕面市(ミクシィ社:笠原健治氏のふるさと)の、mixiポイント」
「佐賀県鳥栖市(ガンホー・オンライン・エンターテイメント社:孫泰蔵氏のふるさと)」
等でしょうか。(あくまで例示:尤も、創業者を表に出すより、現行役員複数名のふるさとに白羽の矢を立てる方が建設的かも知れません)  北海道夕張市の様な地方の団体であっても、こういう発想を一ひねりすれば、結構自己破産自治体からの脱却は容易だと思うのですが、如何でしょうか。

私自身、ソーシャルゲーム自体が社会にとって有益であるとは然程思わないのですが(RMT業界のSEOではかなり有名でしたよ、私)、こういう使い方をハイブリッドに行えば、少しは社会貢献が出来る産業に成長するのかもしれません。


さて。小生が以前から考えていた、新しい二つの納税制度に関するアイディアを軽くご紹介いたします。一つは、「選択納税制度」。もう一つは「先物納税制度」(フューチャー型タックス)

前者は、他の国に既にあるかもしれないですね。2000年近辺に私は提案を始めていて、実はこのキーワードでずっと「グーグル検索一位」でした。民主党(当時)の税制調査会にも意見を出しており、これらは現在の「ふるさと納税」に繋がる議論に発展したものと思います。
(以下、民主党税制調査会からのメールと、その前の当方からのメールを引用)

もう一つの「先物納税制度」は、かなりのオリジナルかもしれません。「先行税制」(アドバンスドタックス)と言えばいいでしょうか(現行では似たようなもので予定納税がありますね、サラリーマンは殆ど知らないでしょうが)。金融工学では、リスクヘッジの為に固定金利と変動金利のスワップをしたりします。将来的な税金額(特に、資産税)が不明瞭である為に生じている<不安>を回避する為に、将来自分が無くなった時に払うべきタックスを固定化(FIX Rate)し、生きている間に支払いを始めるという発想。フューチャー型タックス/アドバンスドタックスを選ぶことで若干のメリットを与える事が出来るのであれば、金融工学的な「国家のリスクヘッジ」が可能となるのではないでしょうか。

税制を柔軟にすることで、社会に与えられる「イノベーション」は、実は結構多いのだろうと思います。人はやがて死ぬのですし。法人であっても、予定納税を超えた選択権の行使で柔軟な「五カ年計画」辺りは出来るようになるかもしれませんよ?(笑)


From: “民主党税制調査会” <tax@dpj.or.jp>
Subject: RE: 選択納税制度の導入の検討を
Date: Wed, 13 Jun 2001 15:00:19 +0900

北畠様

メールにてご意見をお送り下さり、ありがとうございました。返信が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
ご提案の選択納税制度ですが、大変ユニークな制度であると思います。以前、地方税財源問題を党内で議論した際に、住民税の一部を選択式にして、自分の指定する地方公共団体に納税できる方式にしてはどうかという議論がありました。過疎化に苦しむ地方団体は、子どもたちが成人するまでの費用の一部を行政経費として負担しながら、皆都会にでて行ってしまうというのが議論の発端でした。

北畠さんのご提案は、さらに教育や医療などの使途を納税者が特定して納付できるというものであると理解いたしました。おそらく、課税ベースや税率・税額を法定できないので、国に対する寄付金のようなものとも考えられますが、納税についての国民の自発性・権利性を重視するという考え方は共感できるものです。今後の政策立案の参考とさせていただきたいと思います。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

民主党政策調査会 税制担当

Sent: Monday, June 04, 2001 3:34 PM
To: tax@dpj.or.jp
Subject: 選択納税制度の導入の検討を

”税金”・・・この言葉を聞いて、拒否反応を起こす人は、世界中に如何に多いことでしょう。

巷では、盛んに、税理士さんが「節税のための・・」講演をしていますし、いくら何万人・何十万人の従業員を抱える法人であっても、税金を減らすための努力は欠かすことができない要件になっています。
しかし、税金がなければ、日本国は成り立ちません。国の根幹を為す仕組みを支えていくために、お金は必ず必要なのです。そのお金のうちの大部分は、(個人の)所得税であり、(法人の)法人税であるわけです。

ー日本国憲法第30条-
「国民は、法律の定めるところにより納税の義務を負ふ」

日本国民の義務には、一応3つあるとされています。一つは、教育の義務、一つは勤労の義務、もう一つは、納税の義務、です。
納税の義務、以外の「義務」は、一般庶民的な考えからすると、<義務>としての束縛を個々人が感じることはありません。”自分の子供に対する教育の権利を保障する「義務」”を理解していない親は多いですし、仕事しなくても親の元に寄生虫の如く寄って生きていく”パラサイトシングル”なる人種も存在します。
しかし、こと「納税の義務」に関しては、一般庶民の拒絶感は非常に大きい・・・
これは、何故なのでしょう?・・・教育の義務や勤労の義務は、常に、「権利」と表裏一体の関係にあるものと認識しやすいものであることがあるのでしょう。
教育の義務は、「(例えば自分の子供の)教育の権利を確保するために、親として必要な義務」であると言えます。勤労の義務については、「社会の一員として貢献をする義務を持つ代わりに、自分がその対価たる報酬を得ることができる権利を有するもの」であります。
しかし・・・事、納税の義務については、自分の権利(や周りの権利)と表裏一体の関係にある事が中々理解できない・・・そういう根本的な宿命を持っている”義務”なのではないでしょうか。
(本当は、市政や区政に生かされているのですが・・・見えづらいのですね)

そこで…. 義務を義務と思わせないためにも・・・
「選択納税制度」を提案いたします。

小生が提案する、選択納税制度、は、以下の通りです。

  1. 確定申告等で確定される税金は、当然のごとく払う義務を有する
  2. 確定申告等で確定された以外の「新たな税金」として、(余裕がある場合に)オプションの税金を一緒 にはらうことが出来る制度を確保する。オプションというのは、「私は教育に対してもっと税金を払う余 裕がある」「私は、地方自治体の財政の悪化を懸念しているので、地方自治体への交付金に使ってほしい 」などの場合にのみ使うことが出来る。(これは、義務というよりも、財政、政治に対しての「権利」と しての位置付けともなりうる)
  3. (オプション)できれば、「選択肢」については、国民で投票し選べるものとする。(どれを選択肢にするか、ということ。例えば、「教育」「地方財政(ふるさと)」という選択肢の作り方もあれば、「義務教育」「生 涯教育」「医療」という選択肢の作り方もありますが、その「選択肢」自体を国民が作ることができるようにする、ということです)

この制度を導入することによるメリットは、以下のとおり。

  1. 選択納税制度は、最初は「お金持ち」しか使わないものであるかもしれない。しかしながら、少なくとも真剣に「日本国のことを考えている」と言える人間にとっては、自己の主張を全うする”良き機会”となりうる。
  2. 国家の財政が少なくとも5%以上は潤うことが予想される。
  3. 国家に対して真剣に考えている人間が、どういう「カテゴリ」に対して興味関心を持ち、どのように予 算を配分してほしいのか、ということが手に取るようにわかる(公表される)。つまり、今までは、選挙権によってのみ「自分がどういう政治参加ができるか」という権利を行使することができなかったが、国政の腐敗を見てわかる通りに現状の政治に任せることは事実上不可能となった今、「納税を通して、何を今してほしいのか」を訴える機会を有することが可能となる。
  4. 国の借金は減る!(笑)

もともとのアイディアのきっかけは、「権利」と「義務」は表裏一体の関係性を有するものであるのに、こと納税に至っては、どうして「義務」ばかりが先行してしまうのかな、と考えたことです。人は、「取られるもの」に対しては、一歩間を取ったスタンスを持ってしまうもの。全く逆転の発想で、「政治参加できる機会」としての納税(確定申告)と考えられるようにしてはどうか!というのが、根底にある発
想です。

(本当は、もっと、素人的な発想で。。。現在余りにも”評論家”的な人間が多い・・すぐ、国民の税金がどう使われてるか、と言うことを口走る評論家が多い。。。。彼らに、「そんなことを言うくらいなら、もちょっと税金払え~!」と思うわけで・・(笑))

この制度自体は、私のオリジナルのアイディアですが、官公庁に行った東大OBの友人達にはおおむね好評だったので、小泉内閣にその審議をしていただきたい、と思うに至りました。
(また、重要なポイントですが)現行の憲法に全く抵触することなく、この制度は導入することが可能です。電子政府や電子納税などが可能となれば、面白い展開ができるかもしれませんが、今の「確定申告」のやり方でも、一行か二行の項目を追加するだけで可能でしょう。

現行自民党の小泉政権が、今後どういう政をしていくかは、私達国民一人一人が見守って行かなければならないことだと思っています。
これは、私達国民が持っている「権利」と「義務」のアンビバレンツな関係性において、一番わかりやすい・・・(しかも、国民の義務はそのままに、権利のみを拡張することができる)この制度を、是非、国会に措いて審議していただきたい、と思っているわけであります。

ご検討戴ければ幸いです。

Tetsuya Kitahata – 北畠徹也


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<Kananglish(カナングリッシュ)と教養人のススメ>

<Kananglish(カナングリッシュ)と教養人のススメ>
(アゴラ投稿の原稿です)

日本人の英語論は、学術レベルに達していない「でたらめ論」が結構多いなあ、と思ったりします。そこで、私を例に挙げて、英語とどう日本人が向き合うべきか、現状はどうなのか、と言う事を分析してみます。

私、帰国子女ではありません。北海道の田舎の高校を卒業し、実力で東京大学に進学して、自力でビジネスを立ち上げて現在に至っております(18年近く自営及び会社経営です)。その間、アメリカに一週間ビジネスで滞在(ホームスクールの見学等です)、オーストラリアに一週間ビジネスや勉強会で滞在(XBRLのカンファレンスに参加しました)と言う二つだけの経験。なので、「環境」と言う側面からすれば、他の方とそれ程変わらないかなと思います。親も外人じゃないですし(^^;。

ただ、高校生の頃は英語に励んでいました。実際、世界史を知らなければ国際人にはなれないだろう、みたいな事を考えていたので、ペンギンブックスのWORLD HISTORYの類は英語で読んでいたりしましたし、Feynman Physicsや化学の教科書の英語の類は高校の時から読んでたりします。「聞く耳」を敢えて鍛えた記憶は無いです。まあ、強いてあげれば、大学生の頃に、東京大学の教養学部の英語の授業で、「Family Ties」と言うコメディ(ちょっと昔のアメリカンコメディを知っている方であれば、「アーノルド坊やは人気者」辺りはご存知かもしれないですね(笑)。あれをもう少しアメリカらしくした感じです:マイケルJフォックス主演)の存在を知って、近所のビデオレンタルショップでシリーズを借りて、事あるごとに眺めていたというのを挙げる事が出来るでしょうか。まあ、とは言っても、英会話を学んだ、と言う様なことは皆無です。”NOVAでのばーす”、みたいな<こやじギャグ>も私にはヒットしませんでした(^^;。
其の後、外人さん(日本歴20年以上と言う様なベテランさん)と仕事をしたこともあるので若干使う場面はありましたが、殆ど日本語でしたし、必要とするほどでもなかったです、会話。

まあ、そんなこんなで挑んだ「東南アジア」でした。フィリピンに最初に行きました。(2014年9月)
フィリピンでは、英語で困った事は数えるくらいしかありません。タクシードライバーはどこの国もそうですが、教養や学が無いですね。その他で、日本語を使ったためしも有りません。セブ島で1回フィリピノと付き合うふりしてた女性と一緒になったので、英語と日本語交えて会話した位。病院にも歯医者にも行きましたが、iPad AIRで2・3個翻訳をかけた程度。睡眠薬系の商品名を覚えていたので、ウィキペディアで調べて薬品名にして、と言う事もしたかなと。本当に困らなかったです。逆に、フィリピノさんにも教養無い方いますので(ISISもエボラ出血熱も知らないトンデモナイ女性が居たのには唖然としたよ・・・orz)、そういう場合は私の英語力の問題とは言えなかったのだと思います。
其の後、シンガポール3日、ベトナムに2週間行っています。シンガポールは「全く」困りませんでした。ベトナム大使館やベトジェット航空の人間との会話で若干苦労した位(^^;。ベトナムは、暫く迷走しました。ベトナムに行ってから、iPadの重要性を猶更強調するようになりましたかね。「2020年までに日本人の英語力を高める!」と言う類の<妄想>を抱く位であれば、自由民主党さんや東京都さんにおかれましては、成田空港で無償のandroidタブレットを「一時的にレンタル」して、タクシー運転手等のIT技術力を高めさせることの方をお勧めしますかね。グーグルマップの読み方とかね? ベトナムは、英語をつかえる人と使えない人の差がかなりあります。そして、英語を知らない人は「無視し始める」ですかね。あと、東南アジアでは総じて地図が使えません。地図の読めない、会話も出来ない、東南アジア・・・覚えておいて損はないです ^^;
そして、タイ王国です(バンコク)。2か月居て感じるのは、「バンコクっ子は英語あまり知らんよなあ」と言う事でしょうか(笑)。かなり単純(日本では中学1・2年レベルとかです)な単語を何度言っても理解できない事もあったので、平均値で言うと相当低いのだと思います。ただ、出来る方は相当出来るのもまた事実なので、標準偏差は高い(笑)。まあ、そして、英語を知らない方は、そのことを認めたうえで、「周りに質問をしに行く(英語を知ってる人を連れてくる)」と言う丁寧さがあります。ここは、英語力の問題よりも国民性や人柄の問題。

5か月間、対面での日本語を極端に避けてきたこともあるので、英語力は高まった事も確かにあるのでしょうが、それ以前に、英語力はあったのだろうなと思います。多分、私の特徴として、「書き言葉を重視していた」事が挙げられるのでしょう。アパッチ財団(The Apache Software Foundation)のコミッタ等もやっていて、積極的に無償の翻訳作業をしたばかりか、毎日十通以上も英語メール書いたりしていましたので。しかも一つ一つがとても長い。ネイティブさんとリアルタイムチャットをやっても、2倍くらいは早いかもしれないです。英語脳が育まれていれば、些細な「話し言葉」に於ける「ラグ」はすぐ吸収できるのだと思いました。
あとは、「カタカナ英語」(カナングリッシュw)を覚えまくっていた事が挙げられるのですよね。私、イミダスや現代用語の基礎知識の一番後ろに有る「カタカナ英語」を覚えるの好きでしたもの。ですので、専門用語はかなり覚えていたりするのです。業界に関わらず知っている知識が多いのもそのため。学問横断も容易。

まあ、「日本の事を英語で言えた方が良い」みたいな事は良く言われるのだと思います。しかし、私から言わせれば、そんな必要もないし、そんな場面に遭遇する事もありません。寧ろ、大事なのは、カタカナ英語であっても「言葉を大事にする事」と、「教養を高める事」、に尽きるのだと思います。
例えば、「コモロ出身のフランス育ちです」と自己紹介されたら、「モロニですか?」と聞き返すと喜ばれるでしょう。「大学生?何専攻してるの?」と聞き、「物理学です」と答えられたら、「Super String Theory位はかじったことある?」と再質問、とかね。マーケティングの仕事をしてる、と言われれば、「コトラーは読んだの?」とかさ。話のネタなんてのはどこにも転がっているし、私から言わせれば本当に会話のネタ探しなんぞは簡単。そう言えば、コンドミニアム(バンコク)のプールでロシア語らしい会話をしているのを聞いて、「Excuse me, Are you Russian?」「Yes」「Как Вас зовут?(カークヴァースザヴート?)」「(かなり吃驚した表情で)ナターシャ」「スパシーバ、メニャザヴートテツヤ」みたいな会話を平気でしましたが、そういうのも良いのでしょう。

日本人の英語レベルですが、私は悪いとはそれ程思いません。「(脳内)変換に時間がかかる人」が多いだけ。実力を出し切れていないだけなのではないかな?タイ人と会話していて、「カタカナ英語がある国とそういう類がない国とはこう違うんだな」と言う様なことを悟りました。日本人の「平均」は決して悪くないのだと思います。徴兵制度が無い国なのだし、お隣の国が頑張って「兵役」している間に、国家の義務で「一年間英語を覚える特訓期間」を国家権力で保証する様な制度を作りさえすれば、瞬く間に英語力アップすると思いますけど。英語合宿。アフリカのへき地でのNGO/ODA活動の一環で(笑)。あとは、世界史と専門(どういう専門であれ)を学ぶことは大事かな。日本史を学ぶ暇があるならイスラム史を学んだ方が良いです、「例えば」。

これは強調しても良いかもしれませんが。。。「NOと言えない日本人」とかそういう事は考える必要もないです。解らんかったらNOではなく「NOT SURE」(わからん)でいいと思います。また、「I AM SORRY と 言ったら負け」とか、アホな事考える必要もないです。外国人は外国人だしノンネイティブはノンネイティブです。どう逆立ちしても、英語のネイティブにはなれませんので・・・・ネイティブさんはわかるのだし。

最後に。ベトナムにいた時(Halong Bay Tour)、昼食時、「魚料理」が出て来ました。我々のグループには、韓国人、フランス人、オーストラリア人(カップル)、等が居ました。「東アジアの箸文化」を積極的に活用し、出てきた魚料理を箸で綺麗に捌き、皆さんにもてなしてあげました。私たちのグループの皆さんは完食、隣のグループは全く食べていませんでした。まあ、こういう事も多々あるので、積極的に自分のやれることをやって、<お。も。て。な。し>をしてあげてみて下さい。そして、上でお話ししたような「教養」を活用して、30分以上、会話の中心となって「I AM ミスタージャパニーズYEN!」と強調しておきました ^^; — お道化(諧謔)と教養と英語のハイブリッドなコンプレックスで、貴方も是非是非、国際人に!! ^^;

<選択納税制度の導入と、先行納税制度の検討を!>

<選択納税制度の導入と、先行納税制度の検討を!>

(アゴラ投稿の推敲中)

納税制度に関するアイディアを軽くご紹介いたします。

一つは、「選択納税制度」。もう一つは「先行納税制度」(アドバンスドタックス)。
前者は、他の国に既にあるかもしれないですね。2000年近辺に私は提案を始めていて、実はこのキーワードでずっと「グーグル検索一位」でした。民主党(当時)の税制調査会にも意見を出しており、これらは現在の「ふるさと納税」に繋がる議論に発展したものと思います。
(以下、民主党税制調査会からのメールを引用)

もう一つの「先行納税制度」は、かなりのオリジナルかもしれません。「先物税制」と言えばいいですかね?(笑) まあ、金融工学では、リスクヘッジの為に固定金利と変動金利のスワップをしたりします。将来的な税金額(特に、資産税)が不明瞭である為に生じている<不安>を回避する為に、将来自分が無くなった時に払うべきタックスを固定化(FIX Rate)し、生きている間に支払いを始めるという発想。アドバンスドタックスを選ぶことで若干のメリットを与える事が出来るのであれば、金融工学的な「国家のリスクヘッジ」が可能となるのではないでしょうか。

(もう少し推敲します)

——————————————————-

From: “民主党税制調査会”
Subject: RE: 選択納税制度の導入の検討を
Date: Wed, 13 Jun 2001 15:00:19 +0900

北畠様
メールにてご意見をお送り下さり、ありがとうございました。返信が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
ご提案の選択納税制度ですが、大変ユニークな制度であると思います。以前、地方税財源問題を党内で議論した際に、住民税の一部を選択式にして、自分の指定する地方公共団体に納税できる方式にしてはどうかという議論がありました。過疎化に苦しむ地方団体は、子どもたちが成人するまでの費用の一部を行政経費として負担しながら、皆都会にでて行ってしまうというのが議論の発端でした。
北畠さんのご提案は、さらに教育や医療などの使途を納税者が特定して納付できるというものであると理解いたしました。おそらく、課税ベースや税率・税額を法定できないので、国に対する寄付金のようなものとも考えられますが、納税についての国民の自発性・権利性を重視するという考え方は共感できるものです。今後の政策立案の参考とさせていただきたいと思います。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

民主党政策調査会 税制担当

Sent: Monday, June 04, 2001 3:34 PM
To: tax@dpj.or.jp
Subject: 選択納税制度の導入の検討を

”税金”・・・この言葉を聞いて、拒否反応を起こす人は、世界中に如何に多いことでしょう。

巷では、盛んに、税理士さんが「節税のための・・」講演をしていますし、いくら何万人・何十万人の従業員を抱える法人であっても、税金を減らすための努力は欠かすことができない要件になっています。

しかし、税金がなければ、日本国は成り立ちません。国の根幹を為す仕組みを支えていくために、お金は必ず必要なのです。そのお金のうちの大部分は、(個人の)所得税であり、(法人の)法人税であるわけです。
ー日本国憲法第30条-
「国民は、法律の定めるところにより納税の義務を負ふ」

日本国民の義務には、一応3つあるとされています。一つは、教育の義務、一つは勤労の義務、もう一つは、納税の義務、です。
納税の義務、以外の「義務」は、一般庶民的な考えからすると、<義務>としての束縛を個々人が感じることはありません。”自分の子供に対する教育の権利を保障する「義務」”を理解していない親は多いですし、仕事しなくても親の元に寄生虫の如く寄って生きていく”パラサイトシングル”なる人種も存在します。
しかし、こと「納税の義務」に関しては、一般庶民の拒絶感は非常に大きい・・・

これは、何故なのでしょう?・・・教育の義務や勤労の義務は、常に、「権利」と表裏一体の関係にあるものと認識しやすいものであることがあるのでしょう。
教育の義務は、「(例えば自分の子供の)教育の権利を確保するために、親として必要な義務」であると言えます。勤労の義務については、「社会の一員として貢献をする義務を持つ代わりに、自分がその対価たる報酬を得ることができる権利を有するもの」であります。
しかし・・・事、納税の義務については、自分の権利(や周りの権利)と表裏一体の関係にある事が中々理解できない・・・そういう根本的な宿命を持っている”義務”なのではないでしょうか。
(本当は、市政や区政に生かされているのですが・・・見えづらいのですよね)

そこで…. 義務を義務と思わせないためにも・・・

「選択納税制度」を提案いたします。

小生が提案する、選択納税制度、は、以下の通りです。

・確定申告等で確定される税金は、当然のごとく払う義務を有する

・確定申告等で確定された以外の「新たな税金」として、(余裕がある場合に)オプションの税金を一緒 にはらうことが出来る制度を確保する。オプションというのは、「私は教育に対してもっと税金を払う余裕がある」「私は、地方自治体(ふるさと)の財政の悪化を懸念しているので、地方自治体への交付金に使ってほしい 」などの場合にのみ使うことが出来る。(これは、義務というよりも、財政、政治に対しての「権利」と しての位置付けともなりうる)

・(オプション)できれば、「選択肢」については、国民で投票し選べるものとする。(どれを選択肢にするか、ということ。例えば、「教育」「地方財政(ふるさと)」という選択肢の作り方もあれば、「義務教育」「生涯教育」「医療」という選択肢の作り方もありますが、その「選択肢」自体を国民が作ることができるよ うにする、ということです)

この制度を導入することによるメリットは、以下のとおり。

・選択納税制度は、最初は「お金持ち」しか使わないものであるかもしれない。しかしながら、少なくとも真剣に「日本国のことを考えている」と言える人間にとっては、自己の主張を全うする”良き機会”となりうる。

・国家の財政が少なくとも5%以上は潤うことが予想される。

・国家に対して真剣に考えている人間が、どういう「カテゴリ」に対して興味関心を持ち、どのように予 算を配分してほしいのか、ということが手に取るようにわかる(公表される)。つまり、今までは、選挙権によってのみ「自分がどういう政治参加ができるか」という権利を行使することができなかったが、国政の腐敗を見てわかる通りに現状の政治に任せることは事実上不可能となった今、「納税を通して、何を今してほしいのか」を訴える機会を有することが可能となる。

・国の借金は減る!(笑)

 もともとのアイディアのきっかけは、「権利」と「義務」は表裏一体の関係性を有するものであるのに、こと納税に至っては、どうして「義務」ばかりが先行してしまうのかな、と考えたことです。人は、「取られるもの」に対しては、一歩間を取ったスタンスを持ってしまうもの。全く逆転の発想で、「政治参加できる機会」としての納税(確定申告)と考えられるようにしてはどうか!というのが、根底にある発想です。

(本当は、もっと、素人的な発想で。。。現在余りにも”評論家”的な人間が多い・・すぐ、国民の税金がどう使われてるか、と言うことを口走る評論家が多い。。。。彼らに、「そんなことを言うくらいなら、もちょっと税金払え~!」と思うわけで・・(笑))

 この制度自体は、私のオリジナルのアイディアですが、官公庁に行った東大OBの友人達にはおおむね好評だったので、小泉内閣にその審議をしていただきたい、と思うに至りました。

 (また、重要なポイントですが)現行の憲法に全く抵触することなく、この制度は導入することが可能です。電子政府や電子納税などが可能となれば、面白い展開ができるかもしれませんが、今の「確定申告」のやり方でも、一行か二行の項目を追加するだけで可能でしょう。

現行自民党の小泉政権が、今後どういう政をしていくかは、私達国民一人一人が見守って行かなければならないことだと思っています。

これは、私達国民が持っている「権利」と「義務」のアンビバレンツな関係性において、一番わかりやすい・・・(しかも、国民の義務はそのままに、権利のみを拡張することができる)この制度を、是非、国会に措いて審議していただきたい、と思っているわけであります。

ご検討戴ければ幸いです。

北畠徹也

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