大学の3年半卒業制の推進と大学院の秋入学制度の導入の検討を!

<大学の3年半卒業制の推進と大学院の秋入学制度の導入の検討を!>
2014-12-26

文部科学省及び東京大学(TFT等)に提言:

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東京大学の大学の秋入学の導入が検討されたことがあると記憶しております。

まあ、しかし、実際に必要なのは、「大学院の秋入学」でしょう。学部に外国人等を多数包容する意味はないです。寧ろ、理系であれば特に大学院。

私は、大学の学部自体を3年半で卒業できるカリキュラム編成を模索する事を提言いたします。

例えば、外務省には、大学を3年で中退した「エリート」がいらっしゃる事は、聞きしに及んでいると思います。国家公務員試験等も、3年半で卒業の余韻と秋入社(入省)の前提で行けば、中退者を増加させる意味もなくなってきますね。

大学は、4年は不要です。実際、私は、大学の2年生の冬時点で、(東京大学法学部にいましたが(笑))理学部物理学科の4年生・大学院生の授業をもぐっていました。出来ない事ではなく、出来ないと言い訳している人が多いだけなのだと思います。やればできる、出来ないのは言い訳。

初等・中等教育での「飛び級制度」の必要性も言うまでもありませんが、高等教育におけるカリキュラムの再編とそれに応じた秋入学(大学院)の検討を、宜しくお願い申し上げます。

センター試験の改革に関する意見:記述式問題に関するテスト採点の私案

<センター試験の改革に関する意見:記述式問題に関するテスト採点の私案>(文部科学省・人事院及び首相官邸に対して意見を出しました)

大学入試改革に絡んだ中教審の答申(センター試験の刷新)の骨子を拝見させて頂きました。

http://digital.asahi.com/articles/ASGDQ5CT3GDQUTIL02B.html

ここで、私案をぶつけたいと思います。IT社会にマッチする形式だと思いますので、ご一読頂ければ幸いです。

センター試験の記述式導入については、クラウド採点官導入で進歩が生まれるものと思います。採点官は全国より幅広く募集。一つの答案につき、ランダムに4人選出します。4人の採点のうち、最高得点と最低得点は切り捨てて、真ん中の2人の採点した点数のみを採用とします。全国から専門のアプリあるいはウェブブラウザ型の採点をすることにより、均質化を保ちます。

この案は、
・透明性
・可視化
・プライバシー尊重
と言う、アンビバレントな難しい側面を一挙に解決できる方法と存じます。センター試験のみならず、二次試験あるいは大学院の入試、等にも応用できるでしょう。文部科学省から初めて、行く行くは、国家資格(特に文系。あるいは国家公務員試験等)の取得時にも採用できる技になると思います。十分に試験運用と実験を重ねれば、確実に日本国家の為に成ると思います。

ご一考ください、よろしくお願い申し上げます。

天才(ギフテッド)と天才教育について

天才(ギフテッド)と天才教育について:

ギフテッドの定義等をウィキペディアで見てたんだが http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%95%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E6%95%99%E8%82%B2 どうあがいても私は「ギフテッド」傾向の方が強いわ。こう言うの親がキチンと分かって無かった分損してたんだと思う。 でも自分がそう評価されるより他人を伸ばしてあげる方が嬉しかったりはするv

優秀な子供とギフテッドの比較を見れば一目瞭然。エピソードがキチンと残ってるしな。発露が明らかになったのが高校だったにせよ小中でも出てたものも多い。1年でソロバン1級はギフテッドならではなの鴨。問題はギフテッドなのか単なる早熟かを見分けるテクニックがない事。天才は天才を見抜けるが
要は、ギフテッド教育(天才教育)は、天才にしか出来ない、と言う事なのだろう。多種多様な天才の発露を、パターン認識しつつ拾い上げていけるのは、やはり天才じゃないと無理なのだろうな。凡人は天才を評価する事も伸ばしてあげる事も出来ない。好奇心の発露を妨げられるのは不幸なのだと思う。あと、問題は、天才を自認したがる凡人が多いという点。実は結構容易に見抜ける。好奇心が違うんだ。「人と変わってる」事が重要なのではなく「好奇心がとめどなく」「質問が鋭くて」「自己評価が極端に厳しい」と言う点が主にあげられる。ホント、自己評価が厳しくなかったら楽な人生歩めたと思うわ。

秀才は「成績はトップグループ」、天才は「グループ枠を超えた成績」ってのもある。難易度が物凄く高い試験で解る。本質を見抜くので特に。私は化学も英語も偏差値99.9ある。平均点が低いのと標準偏差が小さいのでそうなる。化学に至っては「満点取れなくて悔しいわあ」としか思わんかったしなあw。天才は「大人や年上の生徒といるのを好む」と思う。と言うか同学年に話す相手が居ないのだw。高校の時は先生との会話しか楽しめなかったものな。京都大学出身や北海道大学出身の高校教師(理系)は理解力があったと思った。大学時代に天才を見てきてるのもあるんだろうな。地方の教育大学出身は無理。天才には大いにゲームをさせるべきだと思うのだが、凡人や秀才クラスはしない方がいい。天才は「遊びながら、集中力に欠けたり、でもよい成績をとる」タイプだしな。遊びの中のルールを読み取ってまた学習に活かすことが出来るし、時間配分もやがて上手になる。ゲームに没頭し続ける天才は居ない。ルービックキューブが早くできるから天才、とか、自慰の為に天才を分類する連中がいるが実は違う。ルービックキューブを早くやる事は「訓練すればだれでも出来ます」。天才の発露は高度で汎用的な「反復性」。「あらら、やってみたらできちゃったわーん(喜)♪」位な人の事を指します。しかも何個も。

高校時代IQ130が居た。彼は天才なのかなと思ってた。でも実は違う。一つのエピソードだけで解る。「英語は必要ないからしない」って言ってたんだ。後日英語は必要って後悔してたけど。真の天才は「今は出来ないけど研究材料として英語は面白そうだね!(にこっ)」って態度をする。この差は歴然。日本の天才教育で厄介なのは、天才と思われたい欲求と言うのに駆られた「自作自演型」の自己愛型人格障害(笑)が居るって事だ。自慰の極み。天才研究を重ねればこう言うのは容易に弾けるのだろうが。これは地方レベルでは中々出来る事ではないよな。IT社会が子供たちを変えていければいいのにな!

東大教養の頃、開成の先輩が何人かいた。二人特に良く会話したけど、片方は天才、片方は秀才。秀才型は天才の合槌入れて満足してただけだったし。二人とも理学部物理学科(リブツw)に行ったが、天才型は今は脳の研究をしてる。脳は限りなく研究材料があるし天才型には特にいい研究フィールドと思う。

理想的な天才教育と言うのは、ネットのような外部接続性を有しつつ、コミュニティと接点を結べるものなんだろうと思う。外部接続性の確保は特に重要。大人の天才(かつ情緒wが異常値を出さない人)のメンターを多く外部に持っている事が望ましいのだと思う。鏡であり鏡で無いメンター確保は難しい。日本のもう一つの残念な点は「天才であることをあきらめた人」があまりにも多く、そして彼らが「天才教育を否定する」と言う点なのだと思う。「私たちと同じ苦しみを味わう事の無いように」と言う、暗黙知みたいなものを、しかも「押し付ける」傾向にあったりするのだな。知らず知らずに結構やってる。

環境ビジネスに関する考察 @ 環境系メーリングリスト – 1999年3月

1999年3月(環境ML@20代サミット)

環境ビジネスにはどういうものが考えられるのか、一応羅列してみます。

1 リサイクルビジネス
2 環境保険・環境金融
3 環境コンサルティング
4 土壌地下水浄化・緑化ビジネス
5 新エネルギー・省エネルギー・効率的エネルギービジネス
6 クリーンエネルギービジネス
7 バイオテクノロジービジネス
8 環境教育ビジネス(エコスクール)
などが考えられるのでしょう。

ここに、「環境知的情報ビジネス」(例:環境テレビ番組制作、本制作なども含む)を入れてみると、ビジネス化の比較的簡単な(visualizeされた)procedureが見えてくるかもしれないです。

2 環境保険・環境金融
3 環境コンサルティング
と関連して。(特に環境保険)

環境リスクとして「資金面」と「企業イメージ」の上からも企業経営上重大なリスクがありますが、そのうちの「資金面」については、例えば「環境汚染賠償責任保険」(Environmental Impairment Liability)が考えられます。その際、保険会社は外部の環境コンサルタントによる事前の環境監査を行うことでリスクの計算をし、保険金の算出を行うこととなります。

つまり、上記の外部環境コンサルタントによる事前環境調査というところに、「企業の環境問題に対する姿勢を評価する機関」が入る、という構図。(これにより、保険会社(=再保険会社=損害保険会社の一つ)のリスクヘッジが為される)

十分にビジネス化可能な分野になります。更に、企業の資金調達に際しても、環境問題に真剣に取り組んでいない企業が起こす「企業イメージダウン」によるリスクに基づいて社債等の価値が下がることも十分考えられるので、環境調査機関が果たす役割も増してくることと考えられます。

ただ、(これは個人的に思うけど)保険があることによる一種の「モラルハザード」が出てくる可能性もなきにしもあらずです。

ペヤング焼きそば事件とWhy Kaisan?における慶応大学生(青木くん)の小学4年生事件について

ペヤング焼きそば事件とWhy Kaisan?における慶応大学生(青木くん)の小学4年生事件について:

日本人はどうも以下の2つを混同しているようなので、整理します。思考実験で明白。

・(A)事実を素通りで伝える事(加工していないRAWな情報)
・(B)事実を歪曲した「言葉で」伝える事(RAWではない情報)

(A)は今回のペヤング。(B)は一般の誹謗中傷です。

(A)は、こういう思考実験が有効です。私が例えば、ペヤング好きで、USTREAMでブロードキャストしたいと思ったとしましょう。ブロードキャスト中に「異物が混入していました」。すると、私の意思は関係なく「異物の混入」は、第三者にわかります。よって、「ペヤングの焼きそばにはゴキブリが入っている事がある」と、全世界が USTREAMで 簡単に 知る事が出来た状態は演出されていた事になります。 これに対しては、ペヤングは「誠意をもって」対応しなければならないでしょう。ブロードキャストなのだから。弁明の余地はないです。

(B)は、自分の関係ない処に所在する「情報」を、<勝手に>持ってくること。例えば、10歳の小学生を演出した慶応大学生の例などがわかりやすいですかね。政治サイトの運営者が「過去どういう事をしたか」と言う事を<勝手に><誰からの要請も無く>持ってきていた事位はわかるでしょう。そして、頼まれても居ないのに<纏め>(キュレート)して、「こいつは良くない」とまで言って拡散させた。これは誹謗中傷レベル。邪推とか入りまくってたよね?特に総理大臣さんとか?

こういう2つは、同じツイッターで生じていてもきちんと峻別されるべきでしょうし、区別は「常識」。常識が出来てないよね、日本人さん。

弁護士法72条と憲法32条・14条違反について(違憲)

法務省・内閣府・総務省へのメッセージ(首相官邸ウェブサイトからの意見送付)
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弁護士法72条は、憲法32条に違反していると考えています。真に「裁判を受ける権利」を確保したいのであれば、非弁活動・非弁行為は積極的にすすめるべきです。逆に言うと、非弁行為を許さない現行法上の社会において、弁護士を確保できない場合、憲法違反になる事位はわからないですか?
私は訴訟をかかえておりますし外国にいますが、弁護人になってくれる弁護士がいないため、訴訟をおこせません。この現状をどうお考えになりますか?東京第一弁護士会は答えてくれませんでした。答えを拒否してるんですよ?弁護士会を管轄している法務省の部署、法テラスを管轄している法務省の部署(例:法務省司法法制部総合法律支援係)は、この事を議論すべきです。
私は、最初は、「メッセンジャーの解禁」でいいと思います。例えば、iPadやアンドロイド端末タブレットを使って、メッセンジャーが依頼者の画像をリアルタイムに表示し(私ならスカイプでの会話で十分だと思う)、依頼者の「代行」(事務的な代行や、iPadを法廷等に持っていく事)は出来るはずです。本人訴訟と同様の効果を持たせられればいいだけです。本人訴訟は現行法で出来ます。しかし、本人が海外にずっといる、とか、寝たきりなので法廷に出られません、と言う事だって考えられるはずでしょう。寝たきりの人が弁護士法72条が邪魔して本人訴訟も代理人訴訟も出来ないのであれば、法の下の平等、すなわち憲法14条にも違反することになりますし、先ほど申し上げたように、憲法32条「裁判を受ける権利」をも侵害しているものと確証しております。
早急に、弁護士法72条の問題点を洗い出し、解決する法令を策定すべきと考えます。法務省等でしか出来ません。
また、弁護士法にからんで、規約や規則には、「弁護士は日々研鑽すべし」と言ったような事が書いてありますよね。でも、現状はどうですか?司法は腐ってると思いますよ。日々研鑽しているかどうかをチェックする第三者機関の創出を求めます(私は総務省や内閣府にその責をおいてもいいと思う。勿論、法務省内でも議論すべき)。勉強しない弁護士を放置するのは法令違反です。行政の方が寧ろしっかりしている。もっと司法を頑張らせてあげて下さい。
個人的には、以下の様にも思っています。参考まで。
「ローレンス=レッシグが日本の印象として第一にあげていたのも行政の強さ・優秀さと司法のお粗末さ。これは明らかに裏表になっており、「後発国型」の近代化を行った国に広くみられる類型です。Shleiferなどの一連の実証研究でも明らかなように、こうした法的構造の経済効率に齎す影響は極めて大きい。日本の官僚は、優秀であるにもかかわらず、霞ヶ関全体が斜陽化しており、士気が低い。両者を考え合わせると、ADRを大量に作ると同時に、官僚を大量にレイオフし、彼らが弁護士の免許なしで「法律サービス業」を行えるようにすれば、日本の司法の水準は飛躍的に上がるのではないでしょうか?」
以上、宜しくお願い申し上げます。

<政治を志す皆さんへ>

<政治を志す皆さんへ>

とことんまで「刹那の」信念を貫けばいいと思います。勿論、人物を評価する時には、一部過去の発言を見なければならない事もあるでしょう。それは「将来どういう事があってもこの人に信託して大丈夫かどうか」を透かす道具の一つですから、過去の参照は。
しかし、一番大事なのは、「今あるこの瞬間」を過去の誰よりも大事にできるか否か、だと思うのです。刹那の発想。
今あるこの瞬間、を継続的に大事にすれば、司法試験合格だろうが何だろうが出来ます。というより継続的な研鑽を通じて物理的に(機会の平等が与えられているにもかかわらず)出来ない事のある社会が存在するのであれば、それは、ただ単に社会自体の美的設計が間違っているというだけです。
「国家が自分たちに何をするかではなく、あなたが国家に何ができるかを考えてほしい」(ジョン・F・ケネディ)という言葉が有ります。
<私は>、選挙になど行かなくても、自分の知性が国家(或は地方自治体)に対して何を出来るかを良く知っていますので、愚衆政治であろうが何であろうが、投票はしません。しかし、その「知性」を身に着けていない人たちは、やはり投票しに行った方が良いのだろうと思います。そして、「知性」は教育と実行力で培われるものと考えております。
政治家を必要としない「知性」を国民が遍く有する為の将来的な教育は必要ではないでしょうか。限りなく無償で。しかし、そのような理想的な社会を達成するまでにはまだ時間がかかると思いますので、どうぞ、国民・県民・市民・区民等の信託を受けて、立派な政治と教育を行ってください。期待しています!

タイ・バンコクより:国政選挙投票日によせて

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