パンドラの箱 – Pandora’s box in digital-society

最近、とみに「表現の自由(Freedom of Expression)」「報道の自由(Freedom Of The Press)」と「プライバシー権(Self-Privacy Control Rights? — Do we really have such rights?)」についての議論が高まっています。直接的なきっかけは、週刊文春による「田中真紀子長女記事」と出版の事前差し止め(前代未聞ですねえ)という事件です。この事件が及ぼす影響は非常に深い深いものがありそうです。

「表現の自由(Freedom Of Expression)」「報道の自由(Freedom Of The Press)」に関して言えば、「マクロな責任/ミクロな責任」(Macroscopic responsibilities vs. Microscopic responsibilities)に絡み、「マスメディアが<ミクロな責任>ばかりを追求してきたため、極めてお粗末な内容の報道や記事が増えた」という事を感じて居ますが、それにせよ、マスメディアが目指すべきは「マクロな責任追及」 – 権力の暴走の抑制/自己権力の抑制 – であって、瑣末なところでの責任を負うべきではない … マスコミによる暴走に対する救済はあくまで私人間の「民事的」解決によってなされるべきでしょう。

ただ、最近、「個人情報保護法案をめぐる論争」(去年)をきっかけに…というか電子政府/e-Japanを含め、非常に不穏な動きが多いような気がします。一番良い例は、Yahoo BB! の個人情報流出事件。最近、ヤフーBBの事件を「ここぞとばかり」に、政府が「個人情報保護の基本方針」なるものをまとめ、ますます介入の意向を強めようとしています。Linuxの脆弱性についても、MSシンパであればセキュリティホールなど簡単につけるでしょうし(Linuxカーネルあたりは研究し尽くしているでしょうし … Linux,Linuxや「セキュリティ」と世間が騒ぐほど、<爆弾>が仕掛けられる可能性は高い気はします)何か、「毒を持って毒を」的な安易性の風潮が世界を支配しつつあるように見え、非常に警戒しています。ウィルスによるSCOへの攻撃も、非常にきな臭い。

もしかするとこれが「コンピュータ/デジタル社会の悪しき点」であり、私たちはその「副作用スパイラル」に入りつつあるのかもしれません。自分の説なり論理を押し通すために「自作自演」というのも考えられる…そうじゃなければこんな「これみよがし」に事件が続くはずも無い — コンピュータ社会は「自作自演」しやすい社会かもしれない。

それにしても、今回の記事の件は、「とんで火に入る夏の虫」的でタイミング(と取材対象)は非常に悪かったですネ。パンドラの箱がついに開いてしまったかな~、という気がしなくもありません。今まで「皮一枚で」死守してきたもの(表現の自由と公的権力の介入の否定…検閲の禁止)が一気に崩された感じですネ….これで論理構成(特に「前例」という名の論理)の図式は一気に変更を強いられる事になるので、「悪しき突然変異」が起きるのも間も無いでしょう。
・・・まあ、なんにせよ、業界なり企業なり省庁なりの「エゴ」「エゴ」「エゴ」のむき出しは見苦しいですネ。

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