AKIRA – 諦 (あきら) める = give-up + clear vision

AKIRA – 諦 (あきら) める

「諦める」 (あきらめる) という言葉があります。非常に味わい深いなあ、と思ってしまう(漢字のつくりからしてもそうですが、言霊的にも) この言葉は元々、「あきらかにする」 という意味。 一般には、釈迦(Gautama/Buddha)が悟った真理は、四諦八正道であると云われていて、四諦(したい)とは苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)で苦悩の原因 (四つの真理) についての分析であり、八正道はその解決法であり中身は道諦の内容とされています。

四つの真理とは、
(1)苦諦 : 一切は苦であるという真理
(2)集諦 : 苦の原因についての真理
(3)滅諦 : 苦の滅尽についての真理
(4)道諦 : 苦の滅尽の方法
の四つをさします。

実際、辞書をひもといてみると、「諦観(ていかん)」について
1. 物事の本質を明らかに見通すこと。(clear vision)
2. あきらめること。(resignation)
とあり、#1 で「あきらか」「める」との語源の意味が残されて居ます。

実際にわたしたちは、何か対象に対してどうにかしようという行動や衝動や気持ちを諦めなければ衝動の中に潜む「偏見」「思い込み」を排除して覚りの境地に到底達しえる事はない、とも言えますし、リラックスして本来の自分に戻って行くことが覚りへと向かう道である、とも言えます。「帝」が「言」う(「言う」は「悟って他に発する」)に至る境地への過程、と捉えるのが妥当でしょう。

invisible -> visible … 私たちの人生はこの「あきらめ」という<苦>の繰り返しなのかもしれません。

悪役はかすがい – Villains are supposed to bring the community together

悪役はかすがい – Villains are supposed to bring the community together

日本語の諺というのは本当に味わい深いものがありますが、その中に、「子はかすがい」というのがあります。

子はかすがい — Children are a bond between their parents.

「かすがい」は、latch や cramp のことで、「かけがね」「二つの木材をつなぎとめるための、コの字型に曲げた鉄釘」をさします。一般的に「子は夫婦の間をつなぎとめる役割を果たす」ものというイメージがありますネ。
翻って、もう少し広い社会やコミュニティについて考えてみると….例えば、「嫌な部長」という存在があったりすると、結構(特に女性のコミュニティは(笑))結束力が強くなることがあります。まあ、「嫌な部長」が一種の<触媒>となってコミュニティが活性化するケースもまま存在 …. てなわけで、

悪役はかすがい – Villains are supposed to bring the community together

という造語を作ってみました。

意外に、「道化師」(Those who play the fool)にも通じる意味深な言葉になるかもしれませんネ。但し、「迷えるシャケ」同様、あまり多すぎると生態系がくずれてしまうのは間違いないでしょう。:-)
まっ、「あぶらぎっしゅ」で超レトロな、昭和のにおいがプンプンとする(おぢさんの汗臭さとともに)部長さんにもたまにはいいとこがありますって。:-)